小さな電子音が響く。ぼくはのろのろと口にくわえていた体温計の数字を確認した。
「39.1℃…」
見たことのない数値にくらくらと視界が揺れる。
ここ暫く忙しくしていたら、一段落した途端にどっときた。
食べる物も薬もないのに、頭は痛いし、熱は高いし、関節が痛くて立ち上がれないし。誰かに来てもらわないと本気でマズいかもしれない。
ぼーっとする頭で取り上げた携帯は充電が切れていた。テレビの上に充電器があるけど、そこまで行く気力がない。
手帳はスーツの内ポケットで、肝心の上着は玄関を入ってすぐにコートと一緒に脱ぎ捨てたままだ。
そらで覚えている連絡先は、事務所と、御剣の携帯と執務室の3つだけ。週明けまで事務所は休みにしちゃったから、頼れるのは1人しかいない。
「この時間なら、執務室かな…」
御剣が席を外していても、事務官に回される筈だから伝言を頼めば良い。
腕を伸ばして、滅多に使わない固定電話を引き寄せる。
受話器を上げて、力の入らない指でボタンを押し、コール音を聞いて−−漸く気が付いた。
「うわっ!」
慌てて受話器を叩き置く。
今日は平日で、まだ午前中で、間違いなく御剣は仕事中だ。
どんなに仕事が忙しくても、今の状態を知ったら都合をつけて来てくれるだろうから、だからこそ、連絡なんか出来ない。
しかも、熱の高さからいってインフルエンザの可能性が高い。うつしてしまうかもしれないから、御剣以外の誰にも声なんかかけられない。
しかたない。寝て治すか…。
熱い息を吐いて、汗で湿った布団に潜り込んだ。
熱が上がってきたのか、ガタガタと身体が震える。
ひと眠りしたら病院に行くくらいの体力は戻っています様に、と願いながら目を閉じた。
寝ようとするのに、御剣のことばかり思い浮かんで眠れない。
自己管理がなってないとお小言くらいは言われるかもしれないけど、それでも御剣の顔が見たかった。
顔が見たい。
声が聞きたい。
−−会いたい。
病気になると人恋しくなるっていうのは本当なんだな。
「みつるぎ…」
言葉にすると余計に会いたくなって、目尻から1筋、涙が落ちる。
みっともないなぁと思っているうちに、漸く意識は霞んでいった。
*****
目が覚めると、そこは知らない場所だった。
眠る前は確かに自分の部屋だったのに。
人の気配にぼうっと首を動かすと、御剣と目が合った。
「目が覚めたか?」
優しい声が耳を擽る。
「気分はどうだ?」
朦朧とした頭でよく分からないまま頷くと、それでも御剣はほっと息を吐いた。
汗で額に張り付いた髪を梳きながら、聞きたかったことを端的に教えてくれる。
「ここは堀田医院の処置室だ。インフルエンザではないから安心しろ。風邪を拗らせかけていたそうだが、この点滴が終われば帰っても良いと言われている」
視線で促されて見上げると、大きな点滴袋が2つ下がっている。片方はもう終わりかけているが、もう1つが丸々残っていた。
「まだ暫くかかるだろう。もう少し眠れば良い」
目の上を覆う掌を、頭を振って拒否する。
衝撃で頭がガンガンと痛んだが構っていられない。まだ1番気掛かりな事を聞いてない。
ぼやける目で確認した壁の時計は、3時を回ったところだった。窓の外の明るさからいって、間違っても夜中じゃない。
平日の真昼間に、多忙で有名な検事がどうしているんだ?
聞こうとすると、唇に指を当てて遮られた。
「まだ声を出すのはツラいだろう。大丈夫だ、君の考えていることなら分かる」
そう言って、悪戯っぽく口端をつり上げる。
「私を、呼んだだろう?」
だから居るのだ、と微笑まれて、思わず目を見開いた。
確かに思った。顔が見たい、声が聞きたい−−御剣に会いたいと。
でも、そう思っただけで、実際には連絡はしなかったのに。
「どんなに離れていようとも、君の考えていることくらい私にはお見通しなのだよ」
まるで当たり前のことみたいに、そんなことを口にする。
「仕事は全て終わらせている。君が再び目覚めるまで傍に居るから−−」
眠りたまえ、ともう1度言われて、今度は大人しく目を閉じる。
邪魔になると思ったみたいで髪を梳くのはなくなったけど、代わりに布団の下の手を軽く握られた。
なんだか恥ずかしいけれど、目を閉じていても、意識がはっきりしなくても、御剣が居るって分かるのは嬉しい。
ちょっとだけ寝るのが勿体ないと思った。
*****