全長1.78メートルの世界

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『ほしいもの? 別にねぇなぁ』

 見ているだけで筋肉の付きそうなバーベルを上げたまま、ゾロは穏やかな目でチョッパーを見下ろした。

『この船で、てめぇらがいて、コックが笑ってりゃ、今はそれで十分だ』



「だって!」
 にこにこと嬉しそうなチョッパーの言葉を聞いて、ナミは頭を抱えた。めずらしく、ロビンも困ったように頬に手を当てる。
 キッチンが静まり返り、チョッパーが不安そうに周囲を見回した。
 先程まで上機嫌で包丁を握っていたサンジも、テーブルで大騒ぎしていたルフィもウソップも、姿が見えなくなっていた。
「な、何かあったのか?」
 チョッパーが席を外していたのは、皆を代表してゾロのリクエストを聞く為後方甲板まで往復した間だけ。僅か数分の間に、沸き立つような楽しい雰囲気から沈むような重苦しい空気に様変わりしているのだから。
「ありましたとも…」
「ひいいぃぃっ…」
 ゆらりとナミが立ち上がり、チョッパーが悲鳴を上げた。
「って言うか、あんたたちがヤらかしたんでしょうっ!!」
「ぎゃーーーーっ」
 クリマ・タクトでボコボコにされて、キッチンの奥に転がされる。
 そこには、同じように顔を腫らしたルフィとウソップが正座させられていた。
 肩で息をするナミの隣りで、ロビンが首を傾げる。
「怒られるって分かっているのに、どうして盗み食いをやめないのかしら?」
「うぅ、ごべんなざいぃ…」
「もう、もうしません…」
「だって、美味そうだったんだよ〜」
「うん、おいしかった…」
「見たことのない食いモンばっかだったしよぉ」
「だよなー。あれは我慢できねーよなー」
「言いたいことは、それだけかっ!」
 ナミのサンダーボルト・テンポが炸裂し、3人は甲板に放り出された。
「あんたたち、暫くご飯抜き!」
「「「えぇ〜〜っ」」」
 先程ボコられた時よりもはるかに悲痛な声が上がった。
「夜は宴会なのにっ!?」
「ゾロのお誕生祝いなのに…」
「仲間外れはいけないと思いマス!!」
 3人の抗議をナミは黙殺する。代わりにロビンが首を振った。
「パーティはやらないわ。出来るだけの食料は残ってないみたいよ」
 そこまで食い尽くした覚えはなかったのか、愕然とする3人を残し、ナミとロビンは険しい顔でキッチンに戻っていく。

「おい、どうした?」

 鍛錬を終えたゾロが声をかけるまで、3人はその場に立ち尽くしていた。



 後方甲板に3人を連れて行き、経緯を聞いたゾロは、呆れてため息を付いた。
「全く、懲りねぇな、お前らも」
 それだけだった。
 怒って手を上げるどころか、眉をひそめることもしない。
「……怒らないのか?」
 おずおずとチョッパーが聞くと、ゾロはひょいと肩を竦めた。
「−−反省、してんだろ?」
 3人は神妙に頷いた。今まで何度も盗み食いをやらかし、今回以上にサンジやナミに怒られたこともあったが、今ほど後悔していることはない。
「じゃあ俺がとやかく言うことでもないだろ」
 ゾロは大きな手で手荒に3人の頭をかき回した。
 がくがくと頭を揺さぶられながら、ウソップが涙ぐむ。自分が悪いと分かっている時は、優しい言葉の方が耳に痛いものだ。
「取り敢えず、コックの機嫌を直さねぇとな。みんなで釣りでもするか」
 ゾロの提案に、ウソップが首を振った。
「前の島で聞いたんだけどよ、この辺の海域には海王類や海獣が多くて、フツーの魚はあまり居ないんらしいぜ」
「大きくて肉食の凶暴なのばっかりだって」
 続いたチョッパーの言葉に、ゾロはニヤリと笑う。
「大きいならそれだけ多く肉が手に入るじゃねぇか。それに、肉食ならエサはここに居るし−−」
 ルフィとウソップがチョッパーへ顔を向けた。
「ええええええっ! 俺か!? 俺なのか!?」
 半泣きで後ずさったチョッパーは、やがて泣きながら戻ってきた。余程、深夜の盗み食いに罪悪感があるらしい。
「おで、おで……、がんば、る…うぅ」
「チョッパーがやるなら俺がやる!」
 はい! とルフィが手を上げる。
「何言ってんだ。悪魔の実の能力者をエサにして海に投げ込んだら、喰われる前に溺れちまうだろうが」
 海上にぶらさげても効果が無いのは、カルーで確認済みだ。
「じじじじじゃあ、そそそその、役目、は」
 がたがたと震えるウソップに、ゾロは事なげも無く言い放った。
「そんなの、俺に決まってるだろうが。それとも、やりたいのか?」
「めっそうもございません」
 平伏したウソップの代わりに、ルフィが前に出る。
「だめだ! 1番関係ねえゾロが、1番危ない役をやるのは絶対だめだ!」
「問題ねぇ」
 ゾロはあっさりと首を振った。
「コックが笑えない状況なら、俺が笑えるようにするまでだ」



 暫くルフィは食い下がったが、結局ゾロをエサに海王類を釣ることになった。ゾロの案に替わるものが思い浮かばなかったのだ。
 チョッパーがルフィから血を採り、小さなナイフと一緒にゾロに渡した。海に潜って袋を破けば、それが撒き餌の代わりになる。
 ウソップが出した小船に乗り、メリー号から遠ざかる。大物がかかった時に船を沈ませない為の配慮だ。
 船にあったロープはメリー号とゾロの腰を繋いである。
「じゃ、ちょっくら行ってくるぜ」
 小船の上で立ち上がり、ゾロはゴキゴキと肩を鳴らした。
「おい、ゾロ、刀、持たねぇと」
 丸腰なのに気が付いたウソップが船内を見回す。だが、どこにもゾロの愛刀は見当たらなかった。
「ああ、刀は置いてきた」
「は?」
 信じられない言葉が返ってきて、ウソップは青褪める。
「刀をあまり海に入れたくねぇし、食材をコックに無断でシメたらキレられるだろ」
「だ、だからって…」
「危ないからすぐ戻れよ」
 ゾロは片手を上げて合図を送ると、海に飛び込んだ。ウソップが止める間もなかった。
「大変だーーーっ!」
 ウソップは悲鳴をあげ、メリー号へ向けて猛烈に船を漕いだ。



 ちょうどその頃、ナミとロビンはキッチンで今後の予定を立て直していた。
 サンジが調べ直した食料の残りと、次の島までの到着予定日数を付き合わせる。素人目にも食料が足りないのは明らかだった。
「前の島では、次の島に着く前に3時の方角に別の島が見えるって話だったわね」
「うん。一応気を付けてたから、まだ通り過ぎてない筈なんだけど」
 海図を広げて話し合う2人の前に、温かなコーヒーが差し出された。
「ロビンちゃん、ナミさん、お疲れ様。ごめんね」
「ありがとう、コックさん」
「ありがと。謝らなくても良いわよ。外で騒いでるヤツ等のせいなんだから」
 ナミは眉間に皺を寄せてカップを傾けた。
「海王類を釣るって言ってたけど、もう少し静かに出来ないのかしら」
「へぇ。海王類ね…」
 サンジが冷たく笑った。
「たらふく食ったばかりだから、良い生餌になるでしょうね」
 サンジの頭の中では、盗み食い常習犯の3人が船べりからロープで吊るされている光景が浮かんでいるのだろう。
 ロビンが目を閉じ、胸の前で両腕を交差させた。ハナハナの実の能力で後方甲板の様子を伺い、少し困った様に首を傾げる。
「あら、エサになっているのは剣士さんみたいよ」
 能面の様なサンジの頬がぴくりと動いた。
 ため息を吐きながら、ナミが肩を竦める。
「全く、あの男ったら肝心なところで甘いんだから。でも、だったら何であんなに騒いでるのかしら?」
 ゾロがエサなら楽勝でしょ? とナミも首を傾げる。
「どうやら−−」
 ロビンが手を下ろして目を開く。どことなく心配そうな表情で口を開いた。
「剣士さん、刀を持たないで海に入ったんですって。海が真っ赤になったのに上がって来ないみたい」
「なにそれっ!」
 ナミが椅子を蹴倒して立ち上がるより早く、サンジはキッチンを飛び出した。
 後方甲板では、半泣きのチョッパーと硬い表情のルフィ、青褪めたウソップが身を乗り出すように海を見ている。
「どうなってんだ!?」
 船べりに張り付いたサンジは言葉を失くした。
 海が一面、赤く染まっている−−。
「分からん。血は広がらなくなったし、ロープも伸びなくなったのに、引いていいって合図が来ねぇ」
 ゾロに繋がっているロープをしっかりと握り締め、ルフィはとても険しい目つきで赤い海を睨んでいる。
「なんでゾロ、あがってこないんだよぅ」
 涙を浮かべたチョッパーがぐしぐしと目を擦った。
 サンジは舌打ちをして、船べりから海を覗き込む。
「もう待てねぇ! 引くぞ!」
 ルフィが猛烈な勢いでロープを引き、ウソップとチョッパーが絡まないよう必死で整える。
 赤く濁った海の底から大きな影がゆらりと上がって来る。
 メリーと同じくらいある影に、サンジは息を飲んだ。
 ざばりと大きな海王類が水面に浮かび上がる。ルフィの引いていたロープは、海王類の腹に巻きつき、端は口の中へと消えていた。
「うそ…」
 後ろで見ていたナミが青い顔でよろめく。ナミを支えたロビンの顔も強張っている。
 サンジがネクタイを緩めながら手すりに足をかけた。咄嗟にウソップが背中から羽交い絞める。
「うわわっ! 早まるな、サンジ!」
「ざけんな! 放せ!」
 もがくサンジの顔は、青を通り越して白くなっている。気が付いたチョッパーが慌てて足にしがみついた。
「ダメだよ、サンジ! そんな顔色してるのに行かせられるわけないだろっ!」
「うるせぇ! ゾロっ!」
 サンジが震える声で叫んだ時、海王類の口がガパリと開いた。鋭い歯の間からゾロが顔を出す。
「悪ぃ。ちっと手間取った」
 飄々と言われて、ルフィ以外の全員がその場に座り込んだ。
「おっせーぞ、ゾロ!」
「すまん」
 腰に巻いていたロープを切るのを待って、ルフィがメリーへと引き戻す。
「じょよ〜〜っ!!」
 チョッパーが泣きながら抱きつき、ウソップは安堵のあまり涙ぐんだ。
「この、大馬鹿っ!」
 勢い良く振り下ろされたクリマ・タクトを避けながら、ゾロは首を傾げた。
「なに怒ってんだ、ナミ? つーか、何で全員居るんだ?」
「なにって…!」
 怒りのあまり言葉に詰まるナミに代わって、ロビンが口を開く。
「剣士さんが刀を持たずに危ないことをしているから、みんな心配していたのよ」
「刀がないくらいで、海王類相手に不覚は取らねぇよ」
 仮りに不覚を取ったとしても、俺がその程度だったってことだ。
 事なげもなくそう付け加える。
「おう! 知ってるぞ!」
 ルフィが大きく頷いた。
「それでも、心配だったんだ!」
 何故か胸を張るルフィに、ゾロは首を傾げる。
「そういうもんなのか?」
「そういうもんだ」
「そうか。そりゃ悪かった」
 あっさりと頭を下げるゾロに、ナミは大きくため息を吐いた。
 分かってない。この男は絶対に分かっていない。
 心配させたということは分かったらしいが、それだけでは意味がない。どうして心配したのかを理解しない限り、何度でも似た様なことを繰り返すに決まっている。
 どうしてくれよう、とクリマ・タクトを握り締めている横を、すっと黒スーツが通り過ぎる。
「お、コック」
 濡れたシャツを着替えていたゾロが、サンジに気が付いた。
「こんくらいデカけりゃ、当分もつだろ? 早めにシメないと−−」
「ふざけんな、てめぇ!」
 瞬間、サンジの殺気が膨れ上がり、反射的にゾロはその場を飛び退いた。
 鼻先を掠めた踵が煙を上げて甲板にめり込む。ウソップが小さく悲鳴をあげた。
「海王類のエサになる前に、俺があの世に送ってやるよ!」
 怒り心頭のサンジが繰り出す蹴りはゾロでも避けるのが精一杯だ。
 元からスピードはサンジの方が上だし、丸腰の分、明らかにゾロの分が悪い。
「ちょっと待て! てめぇ何でそんなに怒ってんだ?」
 説明している間に体勢を立て直そうと思ったのだが、それは逆にサンジの怒りを煽っただけだった。
「それが分かってねーのが一番腹が立つ!!」
「うおっ!」
 蹴りを受け止め切れずに甲板まで吹っ飛ぶ。マストに背中を強かに打ちつけた。
「逃がすかっ!」
 鬼の形相で追いかけてくるサンジに、ゾロは覚悟を決めた。
 渾身の回し蹴りを避けずに脇腹で受け止める。
 こんな単調な蹴りが直撃するとは思わなかったサンジが一瞬硬直した隙に距離を詰め−−細身の黒いスーツを抱きしめた。
「悪かった。だから、泣くな」
「な、いてねーだろーが!!」
 アホかぁ! と大暴れするのを逃がさない様に腕に力をこめる。
 涙は流していないかもしれないが、心が傷ついた末の行動なら『泣かせた』のと同じことだ。
 正直なところ、得物を持たずに海王類の巣に踏み込んだくらいでそんなに騒ぐ理由が分からない。ゾロにとっては鬼徹相手に運試しをするのと何ら変わりはない。
 それでも。
 それがサンジを悲しませるのなら。

「もうしねぇ。約束する。だから−−」

−−泣くな。

 力をこめると内臓がぎしぎしと軋んだが、ゾロは腕を緩めなかった。
 サンジの抵抗が弱くなる。
「……ちくしょう」
 肩に額が押し付けられる。髪が首元をふわりとくすぐった。
「次は、許さねぇ」
「おう」
「−−それと」
 サンジが顔を上げたので、腕を少し緩める。
「食材、ありがと。マジで助かった」
「そっちの礼はまだ早ぇんじゃねぇか?」
「なんで?」
 サンジがきょとんと首を傾げるのと、船が大きく揺れたのは同時だった。
 後方甲板からウソップが飛んでくる。
「ぞぞぞぞぞろ! お前が仕留めた海王類がっ!」
「まだ仕留めてねぇよ」
 だからあんなに苦労したんじゃねぇか、と恐ろしいことをさらりと言う。
「ちょっと待て! そりゃ、どういうことだ?」
「だから、殺してねぇんだよ。お前、前に勝手に息の根止めるなって怒っただろ」
 気絶させただけだったのが、目を覚ましたらしい。
「そういうことは早く言え!」
 ゾロの後頭部に回し蹴りを喰らわせて、サンジは後方甲板に走った。
「聞かなかったのはてめぇ等じゃねぇか」
 ぶつぶつとぼやきながら、ゾロも後に続く。
「ロビン、帆を下ろして! あんたたちはオール出して! 漕ぐのよ!」
 みかん畑からてきぱきと指示を出していたナミが、目を吊り上げてゾロを睨んだ。
「この貸しは高くつくわよ」
 いつもの台詞にひょいと肩を竦めて、刀を腰に据える。
 サンジは既に手すりに立って獲物を物色していた。
「生きが良いなぁ。上出来だぜ、ゾロ」
 話しかける声が弾んでいる。
「取り合えず、もう1回意識を落とすか。それから血抜きだな」
 ロビンが用意したらしい包丁を両手に持って、うきうきと振り返る。
「分かってると思うけど、血が出るから他の海王類が寄ってくるからな。援護頼むぜ」
「任せろ」
 サンジの上機嫌な表情を見て、ゾロも満足げに笑った。


 

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