ゾロは物欲が薄い。むしろ、全ての意識が『野望』に向かっているからそれ以外に欲しいものが存在しない、というべきか。
だからみんな誕生日プレゼントには、酒とか、肩たたき券とか、道案内券とか、そんなものを用意した。
ウソップは町で見つけたキツそうな酒に『お役立ち券』を付けた。芸術面でも戦闘面でもゾロがウソップを必要とするとは思えなかったから、使ってくれればいいなー程度のおまけのつもりだった。
それが。
ゾロの誕生日を過ぎた最初の見張りの夜、ゾロは人目を避ける様にして見張り台まで上がってきた。
「なんだ、ゾロ? ナミが何か言ってたか?」
ゾロが当番でもないのに見張り台に来るのは、敵襲が近いか、ナミから伝言がある時くらいだ。顔付きから言って敵襲じゃなさそうだと判断して声をかけたのだが、ゾロは首を振った。
「これ、もう使えるか?」
おまけのつもりだった券を出されて、ウソップは思わずゾロの顔をまじまじと見つめた。
「・・・・・・駄目なら良い」
「い、いやいや! ダメじゃねーよ! 全然問題ねーし! ま、ココ座れよ」
バンバンと目の前の床を叩くと、ゾロは腰を下ろした。
「頼む」
床にすっと出されたチケットを、ウソップは思わず両手で拾い上げる。
「おう。で、何するんだ?」
「絵を、描いてくれ」
「え?」
どこか直してくれとかなにか作ってくれとか、そういう工作系の頼みごとだと思っていたから、ゾロの答えには自分の耳を疑った。問い返してから、ダジャレかよ! と自分にツッコんだが、ゾロは真顔で続けた。
「腹巻に入れておけるくらいの大きさで、血や泥で汚れても洗えるようなやつを作ってくれ」
「いや、その辺は後で聞くとして、いったい何を描きゃいいんだ?」
当然のことを聞いただけなのに、ゾロは一瞬言葉に詰まったようだった。
「……コック」
「ん? サンジがどうした?」
夜食でも持ってきたか? ときょろきょろするウソップに、ゾロは言葉を重ねた。
「違う。コックを、描いてくれ」
「サンジぃ!?」
思いがけないことの連続で、声がひっくり返った。
暗くてよく分からなかったが、真顔で頷くゾロの耳だけが赤い気がする。
「時々、飯やおやつ食ってるお前らのこと、すげぇ嬉しそうに見てるだろ? アレが良い」
「ああ、あれか……」
本当に時々だけど、嬉しくてたまらない子供の様な顔で仲間を見ていることがある。普段の凶暴さやメロメロの態度からは想像もつかない一瞬の表情は、再現するのは難しいかもしれない。だからこそ、ウソップの創作意欲をかきたてた。
「そりゃ、やりがいありそうだな!」
「そうか」
ゾロがほっと息を吐く。
「時間かかっても良い。頼んだ」
「おう! 任せとけって! デッサン出来たら1度見せるから、イメージと違ったら言ってくれよ」
「いや、必要ねぇ」
ウソップの申し出に、ゾロは皮肉気に笑った。
「ありゃ、俺に向けられたことはねぇ。見せられてもよく分かんねぇよ」
「おい、それって−−」
「じゃあ、頼んだぜ」
引き止める間もなく、ゾロはひょいと見張り台の壁を飛び越えた。ダン! と夜中にあるまじき音と共に船が軽く揺れる。
途端にサンジがキッチンから顔を出した。
「うるせーぞ、クソ剣士! ナミさんやロビンちゃんが起きちまったらどうするつもりだ!」
「うるせぇのはてめぇだ、アホコック!」
あっという間に言い争いからいつものケンカに発展していく。
「しっかし、ゾロがサンジの、なぁ…」
寄るとケンカ、触るとケンカ、離れていてもお互いの文句ばかりの2人なのに。
すごく驚いたけどそんなにショックじゃなかったのは、逆に2人がケンカばかりしていたからかもしれない。『ケンカするほど仲が良い』の言葉通りの意味で。
「まあ、ちょっと頑張ってみるか!」
2人の大乱闘を階下に聞きながら、ウソップはスケッチブックを広げた。
*****
ウソップがゾロを見張り台に呼び出したのは、翌年の誕生日のことだった。
「すっげー今更だけど、例のアレ、出来たぜ」
あの日から催促もなにもなかったから、忘れられているかもしれないと少し心配だった。ウソップ自身、手元に『お役立ち券』がなかったら、夢だと思ったかもしれない。忘れているなら記念にとっておくかとまで思ったが、ゾロは考える素振りも見せずにぱっと顔を輝かせた。
「おう! 待ちかねたぜ!」
「あ〜、悪ぃな…」
待たせたことも、忘れていると思ったことも。
ばつが悪い思いで小箱を差し出した。
敢えてリボンも包装紙もかけなかったシンプルな箱を、ゾロは丁寧に開ける。眩しいものを見る様に、目が細められた。
「ああ、この顔だ…」
掌に隠れるくらいの小さな額縁の中で、サンジが笑っている。ゾロが居る時には決して見せない笑顔で。
「ご希望通り撥水加工しといたから水で洗えるぜ。油が付いた時は、まあ声かけてくれや。それだけじゃ格好つかないから額も作ったけど、薄く作ったから多少のことじゃ割れない筈だ。でも腹筋するときはちょっと考えてくれよ。あと−−って聞いてないか」
「いや、聞いてる。手間ぁかけたな」
ゾロが顔を上げた。
「ありがとう」
サンジの絵を見ていた幸せそうな表情そのままに礼を言われて、ウソップは意味もなく慌てた。
「いいいってことよ! それより、それにはちょっと仕掛けがあってな」
慌てついでに、こっそりと仕掛けた秘密を教える気になった。たった今まで、ゾロ自身が気が付くまで放っておくつもりだったのに。
「絵を裏返して、ここをこんな感じで押さえながらここをスライドさせると−−」
「っ!」
ぱかりと開いた額の裏には、ゾロが頼んだとは別の絵があった。
ゾロが見たことのない、とても幸せそうに微笑んだサンジの絵が。
「俺も1〜2回しか見たことねーんだけどさ」
「………おう」
「すっげー記憶に残るだろ? 幸せそうでさぁ」
「・・・・そうだな」
返事をしながらも、どんどんゾロの顔が険しくなっていく。この絵の先に居る、サンジにこんな表情をさせた何かに嫉妬したのだ。
ウソップはゾロの様子に苦笑いした。いつも冷静なゾロでもサンジが絡むとこんなに感情が現れるのかと、無性に感慨深い。
だから、からかうのはやめて、早々に答えを教えてやることにする。
「サンジは、こんな顔もするんだよ。お前を見るときにな」
ゾロは弾かれた様に振り向いた。
「……なん、だと…?」
「だから、このサンジが見てるのは、ゾロ、お前なんだって!」
「そうか…」
自他共に認めるウソツキだが、こういう大事な時にウソップが嘘をつくことはない。
それが分かっているから、ゾロはゆっくりと絵に視線を戻した。
『サンジ』はとても幸せそうで、見ている方まで温かくてくすぐったい様な気持ちになる。
ゾロも同じ表情をしているのに、当の本人には全く自覚はないらしい。
「誕生日、おめでとさん」
ウソップはゾロの肩を叩いて、見張り台から下りた。
もうすぐ誕生日祝いの宴会が始まる。そうなったら主役は有無を言わさず引きずり出されるから、ゾロが静かに過ごせるのも後少しだけだ。
「良いことしたなぁ!」
ウソップは上機嫌で見張り台から覗く緑頭を仰ぎ見た。
誕生日、おめでとさん