「タバコ、変えたのか?」
テーブルの端で酒瓶を傾けていたゾロに思いがけないことを言われて、サンジは咥えていた煙草を落とした。まだ半分も吸ってなかったのが、シンクに落ちて小さく音をたてる。
舌打ちしながら新しいのを取り出して火を点けた。だが、悪い気はしない。
朝食の下拵えをする手を止めてゾロを眺めていると、流石に視線が合った。
「−−なんだよ」
「いや、お前でも気付くんだって思って」
ちょっと感心した、と続けると、眉間に皺を寄せる。
「あからさまに臭いが違うじゃねぇか」
「そりゃそうだけど、それを言うなら変えたの結構前だぜ」
正確には、2つ前の島から。もう1ヶ月以上経っている。
聡い女性陣や、臭いに敏感なチョッパーは出航してすぐに気が付いたのに。
そう指摘すると、ゾロは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「かえたか、かえのか、簡単に分かるかよ」
よく意味が分からなくて、サンジはゾロの言葉を口の中で転がした。
かえたか。かえのか。
何度か繰り返して、行き着いたのは『変えたか』『代えのか』
煙草の銘柄を変えたのか、いつものが見つからなかったから代用か。
「お前、その芝生の下でいろいろ考えてんだな…」
魔獣のクセに、と続けるのは止めたが、ゾロの機嫌を損ねたことには変わらない。
舌打ちをして立ち上がったゾロを上機嫌なサンジは引き止めた。
「そう怒るなよ。酒、もう1本出してやるからさ」
「……」
歩き出そうとしていたゾロが、一瞬足を止める。
「つまみ作るぜ? トマトとアボガドのサラダにバルサミコ酢のマリネ。それと海獣の肉の竜田揚げ」
好物を並べ立てると、ゾロは凶悪な顔付きのまま、それでも再び椅子に腰を下ろした。
基本的にシンプルな料理を好むゾロだから、多少なりとも時間がかかるのは竜田揚げくらいで。
揚げている間にテーブルに皿を並べ、酒を出す。ラベルを確認したゾロの口元が微かに緩んだ。
相手がゾロなので仕方がないが、料理よりも酒に重きを置かれているのが気に喰わない。
イライラを抑えるために煙草をくわえて火を点ける。
独特の匂いとうっすらとした煙の向こうで、ゾロが微かに目を細めた、様に見えた。
気配や匂いに聡いゾロだが、それを気にしていることは殆どない。
煙草の煙を顔に吹き掛けても顔色ひとつ変えない男が、漂う匂いに目を細める理由は−−。
「もしかして、お前、この匂いダメか?」
「はあ?」
思いも寄らない言葉だったのだろう。ゾロはぱちぱちと目を瞬かせた。
その反応に安堵する。同時に、ゾロの些細な仕種を拾って深読みしてしまった自分が恥ずかしくなった。
「いや、なんか煙そうだなーと思ってさ」
「煙いのなんか今更じゃねぇか。薄荷の匂いがするって思っただけだ」
「メンソールだからな。そりゃ、するだろ」
揚がった肉を皿に盛りつけ、サンジもテーブルについた。
「てめえ、薄荷は女子供のモン、とか言ってなかったか?」
「…そこまで乱暴なことは言ってないだろ」
正確には『男がメンソールなんか吸えるか』なので、乱暴なことに変わりはない。
「これは特別なんだよ」
「へぇ」
大きめのグラスになみなみと酒を注ぎ、残りを瓶ごとゾロに渡す。
ゾロは酒とつまみに意識がいっていて、サンジの話は殆ど聞いていないようだ。
「昔から、いつか、これに変えるって決めてたんだよ。だから、メンソールだって知った時は結構ショックだったなぁ」
「味も知らないで決めてたのか?」
「パッケージもそうなんだけど、これの名前がさ−−」
はたと我に返った。自分が口走りそうになった内容に血の気が引く。
「どうした?」
「…誘導尋問かよ」
「? 何がだ?」
聞き流していると思っていた男に促されて、危うくいらん事まで口に出すところだった。
新しい煙草の銘柄は 『KOOL』 名前の由来は 『Keep Only One Love』 で 『一つの恋を貫き通す』。
いつか本当に好きな人が出来たらこれに変えようと、幼い頃から決めていたなんて。
白地に緑のロゴがゾロっぽいから気に入っているだなんて。
当の本人に知られたら、間違いなく憤死する。
動揺を抑えるために、新しい煙草に火を点けた。
胸いっぱいに吸い込み、少し溜めてからゆっくりと吐き出す。
アルコールを摂取しているせいか、くらりと頭の芯が揺れた。
「コック」
呼ばれて顔を上げると、ものすごく近い位置にゾロが顔を寄せていた。
右手で煙草ごと手を押さえられ、身を引く間もなく口付けられる。
すぐに舌が入り込み、ぬめりとサンジの口内を辿った。
1口しか吸っていなかった煙草が燃え尽きるまで、ゆるゆると口付けは続いた。
「勿体ねー」
開口1番の色気も素っ気もない台詞に、ゾロは笑いながらサンジの口元を指で拭う。
「嫌いじゃねぇよ、この煙草の味も」
濡れた指先を舐めながら、ゾロは片頬を吊り上げた。
「もう変えるな。ずっとこれにしとけよ」
「ンなこと言われてもなぁ」
サンジは燃え残ったフィルターを灰皿に放り込み、改めて1本を口に咥えた。
ふーっと紫煙を燻らせる。
サンジだって変える気はないし、変えたくはない。でも、こればかりはどうなるか分からない。サンジ1人ではどうしようもないことだ。
沈みそうになるのを振り切るように、酒を喉に流し込む。−−のを見計らったように、ゾロが言葉を重ねた。
「俺ならいくらでも協力するぜ」
「! ゴホッ! げほっごほッ」
意味深なゾロの言葉に、酒が気管に入った。
「おい、大丈夫か?」
咳き込む背をさすってくれる男は、実は全て知っているのかもしれない。
確認することは全てを暴露するのに等しいところがまたムカつく。
サンジは煙草を手に取り、思いっきり吸い込むと、勢い良くゾロに吹きかけた。