「ゾロはサンジとケンカばっかりしてるんだな」
腕立て伏せするゾロの背中で分厚い医学書をめくっていたチョッパーがちょこんと首を傾げる。
「どうしてサンジとばっかりなんだ?」
「あ? そりゃ、クソコックと気が合わねぇからだろ」
あっさりと返った答えに、チョッパーはふるふると首を振った。
「仲が良くてもケンカはするぞ。俺、ドクターは大好きだけどケンカも仲直りもたくさんした」
「そうか」
「でも、ゾロはサンジとしかケンカしないんだな」
「あー…」
黙々と腕立て伏せを続けながら、ゾロはかすかに苦笑する。
「そりゃ、コック以外とじゃケンカにならねぇからな。ルフィ相手じゃ船が沈んじまうし、てめぇやウソップはすぐ逃げちまうし」
からかう様に言うと、チョッパーはごまかす様に咳払いをした。慌てたように話題を変える。
「でも、船は壊さないようにしないとダメだぞ! あと、ちゃんと仲直りしてるか?」
「してねぇよ」
あっさりと返った答えに、チョッパーが背中の上で飛び上がった。
「ええっ! 仲直りしないのか!?」
「そんなに驚くようなことか?」
ゾロが不思議そうな顔で振り返ると、チョッパーは半分涙目になっている。
「おい…」
「てめぇ! なに泣かせてやがる!」
いつ来たのか、サンジが力任せにゾロの頭を踏みつけた。
そのままグリグリと踏みにじりながら、空いている片手でひょいとチョッパーを抱き上げる。
「おい、どうしたよ?」
「う〜〜…」
聞かれても何て言ったら良いか分からなくて、チョッパーはぐしぐしと目元を擦った。
サンジはチョッパーを下ろし、ピンクの帽子を軽く叩く。
「そろそろおやつにするから、ナミさんとロビンちゃんに都合を聞いてきてくれ」
「うん…」
小さく頷いて階段を下りる背中越しに、怒りに満ちたゾロの声が響いた。
「いきなり何しやがる、このアホコック!」
「穀潰しが可愛い船医を泣かしてんじゃねー!」
御定まりの乱闘音に、止めた筈の涙がまた出てくる。
始まったばかりの今ならまだ止められるかもしれないからと後方甲板に戻ろうとすると、くんっとズボンの裾が引かれた。
床から生えた手が、チョッパーを引き留めている。
甲板を見れば、真ん中に設置されたパラソルの下にロビンが居た。その横でナミがおいでと手招いている。
戸惑っている間にも背後の2人はヒートアップして、あっという間にチョッパーには止められないほど激しくなってしまった。
チョッパーはとぼとぼとナミとロビンのところへと向かった。
「泣かないで、船医さん」
ロビンが膝の上に乗せて、ぎゅっと抱きしめてくれる。
「まったく、チョッパーも懲りないわねぇ。いつまであの2人に首突っ込んでるのよ」
ナミは呆れながらも、チョッパーにみかんを1つ持たせた。
「今回『だけ』はタダにしておいてあげるわ」
「うん…、ありがと」
蹄で器用に皮をむき、1房を口に入れる。みずみずしい甘さに、思わず口元がゆるむ。
ナミとロビンが顔を見合わせてホッと息を吐いた。
「それで、どうしたのよ。みかん代にそれくらい言いなさいよ」
ナミに促されて、チョッパーは重い口を開く。
「…ゾロが、サンジとは仲直りしないって」
考えただけで涙が出てきそうで、チョッパーはぐっと唇を噛んだ。
それなのに。
「あぁ、そりゃまあ…」
「そうでしょうね」
「えええぇぇぇっ!」
2人にあっさりと頷かれて、チョッパーは言葉を失った。
「だって、アレはケンカじゃないもの。仲直りする必要なんかないでしょ」
当たり前の様にさらりと言われて、チョッパーは必死に食い下がる。
「け、ケンカじゃなかったらなんなんだよ!」
「そうね、一番近いのは『求愛行動』かしら」
「きゅうあい…」
チョッパーはパチパチと目を瞬かせた。
「自然界にも居るでしょう? 闘争と見間違えるような求愛行動をする生物って」
言われてみれば、ゾロがケンカするのは基本的にサンジだけだ。サンジだって、男と女で扱いに差はあるけれど、あんなに乱暴な態度を取るのはゾロに対してだけだ。
「そっかぁ」
心配事が解消されて、ぱあっとチョッパーの顔が輝いた。
「それなら、しょうがないよな!」
心底納得してしまったチョッパーに、ナミが込み上げる笑いを必死に堪えている。
ロビンは微笑んで、あちこちに伏せていた手鏡を咲かせた腕で取り上げた。最後にテーブルの上の鏡を開いて、そっと覗き込む。
ナミが計算し尽くして置かれた鏡で、甲板に居ながら後方甲板の様子を知ることが出来た。
サンジが手すりに凭れて煙草を吸っている。優しく細められた視線の先には、汗を拭きながらドリンクを飲むゾロ。
先程踏みつけられたためか、ゾロの額が泥で汚れている。何度もタオルで額を拭いているのに、丁度そこだけ避けているのか、いつまでも汚れが消えない。
サンジが笑いながら手を伸ばした。タオルを受け取って、泥を拭き取ってやる。ゾロが子供の様にばつの悪そうな顔で口を開いた。
何を言ったのかは流石に聞こえなかったが、サンジは機嫌良く笑ってゾロの額に軽く唇を落とした。
ゾロの口が不機嫌そうに結ばれる。サンジは身を屈めて−−
「あ! こらっ!」
チョッパーがロビンの手から鏡を奪い取った。
「巣穴を覗くようなことをしたらダメだ! そっとしておかないと、ストレスで相手を殺すこともあるんだからな!」
どうやらチョッパーの中では、2人はすっかり『野生動物』『つがい』のカテゴリらしい。
「はーい」
「ごめんなさい、船医さん」
医者の顔をしているチョッパーに逆らうのは得策ではない。横から覗き込んでいたナミが素直に返事をした。ロビンも咲かせた腕を消して、後方甲板をうかがうのを止める。
「そうだ! もうすぐおやつだって、サンジが」
頼まれていたのを伝えると、ナミが椅子から立ち上がって大きく伸びをした。
「じゃあ、キッチンに行こっか。そのうちサンジくんも来るでしょ」
「おう!」
ナミとチョッパーの後ろを歩きながら、ロビンはそっと後方甲板に目を咲かせた。
鏡を置いていた場所に、タオルが被せられている。
ゾロとサンジを探して視線を動かすと、すぐにゾロと目が合った。咎める様に睨まれて、ロビンは今度こそ2人を見るのを諦めた。
いつもそうだ。今日はチョッパーに遮られたが、普段は何らかの形でゾロからストップがかかる。
「『巣』を守るのはオスの役目ですものね」
楽しそうに呟いて、ロビンもキッチンへと向かった。