「う〜ん。どうしよう…」
ベッドの上いっぱいに借用書を広げて、ナミは大きくため息を吐いた。
ゾロの借用書を本人に返そうか−−借金をチャラにしようかと検討中なのだ。
何かにつけて借金を申し込むゾロだが、実は意外に返却率は良い。海賊狩りだった過去を生かしてちょくちょく賞金首を狩ってくるから、他の男連中に比べると残高は少ない。
現金を渡すわけじゃないから、ここで白紙に戻しても、またすぐに金を借りに来るだろう。
「元金には達してる筈だから、損をするわけじゃないわ」
だから大丈夫、と何度も自分に言い聞かせる。
ナミ自身もありえない事だと思ってはいるが、これしかプレゼントが思い浮かばないのだ。
ルフィにもウソップにもサンジにもチョッパーにもロビンにも、あげたら喜びそうな物はいくつか思い当たる。
ゾロだけだ。酒以外のものが思い浮かばないのは。
ゾロの酒好きは周知の事実。だから、全員がプレゼントに酒を選んでいる。
だからこそ、ナミは酒以外のものを贈りたかった。
「大丈夫!」
未練を断ち切るように口に出すと、借用書をかき集めた。丁寧に揃えて、丸めて、赤いリボンで結ぶ。
決心が鈍らないうちにと、ナミは紙筒を持って甲板へと向かった。
甲板には全員が揃っていた。
パラソルの下でロビンが読書をし、サンジが給仕をしている。
そのすぐ横で、ゾロは膝にチョッパーを乗せ、背中にルフィを纏わりつかせながら、ウソップの作業を眺めていた。
みんなの居ない場所に呼び出すのも、なにか気恥ずかしい。
ゾロだけずるい! と大騒ぎをされても言いくるめる自信はあるし、この場で渡してしまうことにした。
「ゾロ」
近寄って、紙筒でぽこんと頭を叩く。
大きな声を出したつもりもないのに、全員がナミを振り返った。
「おう、どうした?」
「ん? お誕生日、おめでとう」
取り敢えず口にすると、ゾロはニッカリと笑った。
「ありがとよ」
「で、これ、私からプレゼント」
借用書の束を差し出す。ゾロが受け取るより早くルフィの腕が伸びてきて、ナミは奪われないように背後に隠した。
「ずっりー! 俺にも見せろ!」
「他人のあんたが最初に見てどうすんのよ!」
拒否しても、ゴムの腕はしつこく伸びてくる。
「けちけちすんなよー」
「誰がケチよ!」
ルフィとナミの攻防を眺めていたゾロは、困ったように首を傾げた。
「何なのかは知らねぇが、壊れ物じゃないんだろ? 良いぞ、ルフィに渡しても」
「いやよ! 何が悲しくて借用書を他人に渡さなくちゃいけないのよ!」
ナミの言葉に、サンジとロビンが凍りついた。
「ナミさん、借用書をマリモに渡すって、それって−−」
「借金を減らす、と言っているのかしら?」
甲板が静まり返った。
全員が無言でナミが抱え持つ紙の束を見つめる。
「悪い!? 残りは大した額じゃないし、ロハにしてあげたって良いじゃない!」
ヤケになったナミの啖呵に、サンジが悲鳴の様な声をあげる。
「どうしちゃったの、ナミさんっ! ロハって、ロハって『タダ』ってことだよ!?」
「ナミがおかしくなったーーっ」
チョッパーが声を上げて泣き出し、ロビンは不安そうに空を見上げた。
「世界が滅びる前兆かしら…」
ウソップが蹲ってがたがたと震える。
「きっとあいつはナミに化けた別人なんだ。何かに乗っ取られてしまったんだ−−」
「なにーっ! やい、お前! 本当のナミをどこにやった!!」
真に受けたルフィがいきり立つのを抑えながら、ゾロが首を振って否定した。
「こいつは正真正銘、ナミだ。呼吸が変わってねぇ」
あまりの騒ぎ様に拳を震わせていたナミは、ゾロの言葉にほっと頬を緩めた。
−−のも、つかの間。ゾロはナミの髪を掻き上げ、額に手を当てた。
「熱はねぇな。おい、具合が悪いのはどこだ?」
「−−−−バカーーッ!!!」
ナミは手の中の紙を、力いっぱいゾロに投げつけた。リボンが解け、白い紙が宙を舞う。
「あんたなんか、だいっ嫌い!!」
感情のままに大声で叫び、ナミは肩を怒らせて女部屋に戻った。手荒に扱ったせいで、ドアが大きな音を立てて船を揺らした。
「なによ…」
靴も脱がずにベッドに飛び込み、そのまま掛け布団に包まる。
怒りと悔しさと悲しさが入り混じって、涙も出てこない。
「私もお酒にしておけば良かった…」
みんなとは違うものを、と思っただけなのに。
今日はゾロの誕生日で、もう少しするとパーティが始まるのは分かっていたが、ナミはそのまま目を閉じた。
もう誰とも会いたくない。
このまま船が沈んでしまえと、航海士にあるまじき事を思いながら、ナミは眠りへと逃避した。
ドンドンと扉を叩く音で目が覚めた。
「入るぞ」
外から声をかけたのは本日の主役だ。
ナミは返事もせずに、もう一度しっかりと布団に包まり直した。多分、頭の先しか外に出ていない筈だ。
扉が開く音と、ゴツゴツという足音。普段のゾロは足音を立てないから、眠っているかもしれないナミのためにわざと立てて歩いているのだろう。
足音はベッドの直ぐ脇で止まった。
「おい、ナミ、機嫌直せ」
謝るのかと思いきや、随分偉そうな物言いだ。ナミは寝たふりを決め込んで目を閉じた。
「さっき、どういう顔でこいつを差し出したか分かってんのか?」
どういう顔って何よ、にっこり笑ってたでしょ! と心の中で毒づく。
「−−すげぇツラそうだった」
え?
思いがけない言葉に、薄く残っていた眠気も吹き飛んだ。暗い布団の中で目を開き、ゾロの声に耳をすませる。
「顔じゃ笑ってたけどな、そのくらい分かる。だからルフィも何か知りたがったんだ」
ベッドの端が軽くへこみ、ゾロの手が頭のてっぺんに触れた。少しだけ出ている髪を、ゆっくりと梳かれる。
「気持ちは有り難てぇけどな、良いんだよ、そんなに無理しなくても。お前は瞳をベリーにして、札束に埋もれて笑ってりゃ良いんだ」
なんだか酷い言い草だ、だけど、とてもゾロらしい。
ナミはゆっくりと口を開いた。
「だって−−」
今頃になって涙がこみ上げてきて、声が震える。
「だって、みんなと違うもの、あげたかったんだもん」
「だったら、にっこり笑って頬にキスでもしてくれ」
「……高いわよ」
「知ってるよ」
ぽんぽん、と肩の辺りが叩かれる。
「もう夕飯だとよ。さっさと来いよ」
バサリと紙の音がして、ベッドが軽く揺れる。今度は足音はせずに、扉が開いて閉じる音だけがした。
ナミはゆっくりとベッドから抜け出た。
机の上に、ゾロに投げつけた請求書が揃えて置いてあった。数えてみると、全部揃っている。何枚かは海に落ちてしまったのか、ふやけて字が滲んでいた。
きっと、ナミが居なくなってから全員で集めたのだろう。
「−−仕方ないわね。今回だけは許してあげるわよ」
そう1人ごちて、戻ってきた束を机の奥にしまい込む。
皺になった服を着替え、髪を整え、部屋を出ようとしてふと足を止めた。
引き出しの奥から、いつも使っているオレンジ系のより、もっと紅いルージュを探し出す。サンジもロビンも似合うと言ってくれたが、ガラじゃない気がして使ったことはなかった。
洗面所で顔を洗ったら、これをつけてキッチンに行こう。そうすれば、キスした時にいつもよりずっと濃く痕がつけられる。
「最高のプレゼントでしょ?」
憮然とするだろうか、笑って受け入れるだろうか。少なくとも、痕を手で消すような無粋な男ではない筈だ。
ナミは楽しげに部屋を後にした。
お誕生日 おめでとう