ターミナル駅近くの有名な待ち合わせ場所に成歩堂が立っている。
偶然通りかかった霧人は声をかけようとして、数歩手前で足を止めた。
人待ち顔で辺りを見回しているのに、成歩堂は霧人には全く気が付かない。それを良いことに、暫く視姦することにした。
まだ春先だが風もなく日差しも穏やかだからか、いつものニット帽にパーカーという軽装だ。
そんな格好でも日なたに立っていると暑いらしく、首筋がうっすらと汗ばんでいる。パーカーの首元を掴んでパタパタと動かすたびに、鎖骨が見え隠れした。
霧人の存在には気が付かなくても視線は気になったのか、居心地悪げに身じろぎしている。
パーカーの袖で首筋の汗を拭うと、服の裾から腹が覗いた。
歳の割りには引き締まった腹から腰の辺りを眺めていると、成歩堂は顔を歪めて身体を震わせた。
「良い反応ですね」
満足した、と言えるほど堪能はしていないが、霧人は親友ほど暇ではない。
声をかけようと足を踏み出すと、成歩堂は突然身を翻した。まるで、霧人から逃げる様に。
成歩堂がこちらに気が付いている様には見えなかったが、霧人は満足そうに頷く。
「まあ、良いでしょう。今日は見逃してあげましょう」
上機嫌で呟いて、駅へと向かった。
*****
成歩堂は不機嫌な顔で大通りを渡った。正面のビルの2階にある物静かな喫茶店に入り、ウェイトレスが声をかける隙も与えずに奥の席へ向かう。
「やあ、御剣」
「……」
声をかけても御剣は口をつぐんだままだった。ただじっと成歩堂を見つめてくる。
成歩堂は構わずに向かいの席に腰を下ろした。
「お待たせ致しました」
御剣が頼んでおいたのだろう、ウェイトレスがコーヒーを成歩堂の前に置く。
こういう気遣いは当たり前の様にするくせにと、内心で悪態をつきながらコーヒーをすすった。
御剣の視線が身体を辿るのが分かる。
カップを持つ指先から腕、汗ばんだ首筋、パーカーの胸元。
御剣の視線など慣れてしまった筈なのに、鼓動が高まってしまう。
先程、広場で感じたのと同じ感覚だ。
窓に面したこの席からは、待ち合わせ場所だった広場がよく見える。やっぱりアレはこいつか、と睨みつけても、御剣は意にも介さない。
木製のテーブルなどないかの様に腰のラインまで探られて、成歩堂は苛立たしげにカップを置いた。
「あのさぁ、御剣。そうやって視姦する暇があったら、場所変えたのに連絡もくれなかった説明くらいしてくれないかな」
御剣が目を閉じて口端をつりあげる。
「今日の君にどうやって連絡を取れと?」
「そりゃ、携帯に−−」
意味深な御剣の言葉に、成歩堂は言葉を切った。
そう言えば、携帯電話を持って来た覚えがない。そっとパーカーのポケットに手を突っ込んだが、望むものは入っていなかった。
「じ、じゃあ、そのまま待っててくれたら良かっただろ。なんでわざわざ場所なんか…」
御剣がふーっと溜息を吐いた。軽く両手を広げて首を振る。
「今日の待ち合わせ時間が何時だったか言ってみたまえ」
「待ち合わせ時間って−−3時だろ」
「その時間にした経緯は? 当初の予定は12時だった筈だが」
ん? と成歩堂は首を傾げた。
「ぼくが宅急便の再配達を午前中にしちゃったからだろ。遅れると悪いからってちょっと時間をずら、し……」
自分の思い違いに気が付いて、ダラダラと汗が出てくる。
「もう一度聞こうか。今日の待ち合わせ時間は?」
「−−い、1時、です」
3時ではなく13時。
つまり成歩堂は御剣を2時間も待たせたことになる。
「言っておくが、電話はしたぞ。電源が切れていてかからなかったが」
「そ、そーですね…」
昨夜、電池が切れていることに気が付いて充電しようと思って、思っただけでそのまま放置した気がする。
「それで。場所がどうしたかな、成歩堂?」
「いえ、なんでもありません…」
多忙な検察局長の時間を2時間も潰して、揚げ句に逆切れしかけたなんて、怖さと申し訳なさとで御剣の顔がまともに見れない。
コーヒーカップを見つめたまま冷や汗を流す成歩堂に、御剣は口元を緩めた。
「では、そろそろ行こうか。今から移動すればちょうど良い時間だ」
伝票を取って立ち上がる御剣を、成歩堂がおずおずと見上げる。
「怒ってないのか?」
「こうして君と会うのは2ヶ月振りだ。喧嘩などしている時間が惜しいのだよ」
優しい言葉だが、貴重な時間を無駄にさせた成歩堂は耳が痛い。
それでも今の言葉に裏などないのは分かるから。成歩堂が盛大な遅刻を謝ろうとした時、穏やかな微笑が人の悪い笑みに変わった。
「それに、君から今夜の遊びも提案してもらったことだしな」
「…何の事だよ」
嫌な予感がしたが、聞き流すと後が怖い。警戒心を露わに聞く成歩堂に、御剣は喉の奥で笑った。
「あの程度で視姦呼ばわりとは笑わせてくれる。本当の視姦がどんなものか、たっぷりと実践してやろう」
「い、異議あり! ぼくはそんな…」
「却下する」
成歩堂の反論を一言で切り捨てる。
「…やっぱり怒ってるんじゃないか」
恨みがましい視線を御剣は笑みで受け止めた。
「何を馬鹿な事を。本当に怒っているなら、この程度で済ませる訳がなかろう?」
「うっ…、それは確かに…」
「恨むなら己の口の悪さを恨みたまえ」
唇から顎のライン、喉元までをじっと目で撫でると、成歩堂が小さく身震いする。その敏感な反応に、御剣は声を立てずに笑った。