全長1.78メートルの世界

>> HOME > 逆転裁判

 

 本来ならば休日だったその日、部屋に戻ったのは深夜を過ぎていた。
 音を立てないように鉄のドアを開けると、自分のものではない靴が並んでいた。まだ成歩堂が居てくれたことに安堵する。
 出来るだけ物音を立てないよう、リビングに向かう。
 リビングの明かりは消されていたが、キッチンからの光でぼんやりと明るい。ロー・テーブルに書置きがあった。

『 御剣、お帰りなさい

  遅くまで 仕事 お疲れ様

  悪いけど 先に寝ます

  夕飯 食べてなかったら

  冷蔵庫に入ってるので

  温めて食べて下さい

  お風呂 沸かしてあります

  シャワーで済ませず ちゃんと入れよ!

                 成歩堂 』

 ゆるんだ口元を手で押さえる。
 ああ、幸せだ。

 少し前まで『幸せ』とは自分とは無縁のものだった。それが今ではこんなメモ1枚で幸せだと思う。
 1人で生きていく覚悟を決めていたのに、玄関に靴があるだけでほっとする。
 私をこんな簡単な人間に変えたのは君だぞ、成歩堂。
 今すぐ寝室に行って抱き締めたい衝動に駆られる。だが、冷たい手で触れて驚かすのは本意ではない。
 まずは食事で、風呂に入って、それからだな。
 だが、その前に。
 成歩堂が書いたメモを丁寧にクリアファイルに挟み、鞄にしまった。
 年内は仕事に行かなくても良い様に調整してきたので年が明けてからになるか、成歩堂に見つからないうちにファイリングしなくては。そういえば、ファイルも残りが少なかったな。早々に手配しよう。
 手配するものを頭で整理しながら書斎へ行く。鞄を置き、いつもの様に携帯電話を取り出す。着信があったらしくチカチカと点滅していた。
 確認すると糸鋸刑事からだった。新しい証拠品がと一頻り騒いだ後
『すまねッス。解決したッス』
−−で終わっていた。
 何だというのだ、全く。
 近頃、この様なことが多すぎる。今日の呼び出しも緊急を要するものではなかったしな。行けばやることがあるからと、こんな時間まで仕事をしてしまう私にも問題があるのかもしれないが。
 ならば、いっそ−−。
 頭を過ぎった突飛な考えに驚いた。自ら連絡を絶つなど、検事としてやってはならないことだ。
 だが。今朝、仕事に行く私を見送ってくれた成歩堂の半分諦めた様な笑みを思い出すと、指が自然に動き−−携帯電話の電源を切っていた。
 常ならば、こんなことは絶対にしない。だが今は溜まりに溜まった有給休暇の消化中だ。しかも、上から言われての強制休暇なのだから、このくらい許されるだろう。
 こんなことを思い付くとは、私も相当あいつに毒されたな。
 ただの機械に成り果てた携帯電話を机に置いたまま部屋を出る。
 リビングの電話の線も抜いておくか。普段は使っていないが、検事局には緊急連絡用として登録してある。住所も登録してあるから、本当に緊急の用件があるなら誰かが呼びに来るだろう。
「…ム?」
 抜こうとした電話線は、既に緩められていた。一見異常はない様に、その実、本来の機能は果たせぬ様に。
 成歩堂か? 一体何のために…?
 いや、その前に。
 半分開いている寝室のドアからそっと中を覗く。こういう時はあいつのだらしなさも役に立つ。
 俯せで寝ているのか、トゲトゲの後ろ髪が見える。呼吸は深く穏やかだ。
「…んん…」
 もごもごと何か言いながら寝返りをうつ様にも、いつもと変わったところはない。
 セキュリティからも異常は通知されなかったし、第三者ではなさそうだ。念のため軽く調べたが、不審なことはなかった。
 やはり、成歩堂がやったのか。
 起こしてしまわない様に、込み上げる笑いを噛み殺す。
 あいつにはこれが仕事の呼び出し用だと教えていた。だからおそらく、理由は私と同じだ。明日私の見ていないタイミングで携帯電話も切るつもりなのだろう。
 私は君に毒されたのではなく、君と似てきたのだな。それもまた良いだろう。
 書斎に戻って携帯電話を持ってくる。
 私も同じことを考えていたと成歩堂が知るまで、いつものように持ち歩いておこう。

 成歩堂、明日くらい君と2人きりで過ごそう。



*****



 御剣が帰ってきた。
 囁くように「ただいま」を言って、静かにベッドに入って来る。
 うん、ちゃんと温かい。こいつ、忙しいからとか言って真冬でもシャワーだけで済ませるからなぁ。でも今日はちゃんと湯舟で温まってきたみたいだ。
 ご飯も食べたかな。コンビニ弁当ばかりだと身体に悪いとか言うくせに、自分は平気で抜くんだから。どう考えても、食べない方が身体に悪いだろう。
 うとうととそんなことを考えていると、そっと頭が持ち上げられた。ゆっくりと枕が抜かれて、代わりに御剣の腕に下ろされる。
 こっそり腕枕なんて、恥ずかしい真似するんだから…。
 こいつ、ここまでしてもぼくが起きないって思ってるんだよな。もしかして起きてほしいのか? とも思うけど、1回でも起きたらこんなコトしなくなりそうだし。それはちょっと勿体ない。
 しつこいくらい先に寝ていろと言われるけど、1度起きて待っててみようか。
 御剣の寝息が落ち着いたので、そっと目を開ける。
 よく寝てる。寝付きも寝起きも良いヤツだけど、今日は特に早かったな。やっぱり疲れてるのか?
 大体こいつは働きすぎなんだよ。今日だって、上から無理矢理取らされた休みなのに朝から御剣の携帯は鳴りっ放しで、結局仕事に行くことにして。昨夜も休みの前だからって遅くまで帰って来なかったのに。
 どうせ御剣は、ぼくが今日と明日だけ事務所を休みにした理由にも気付いてないんだろ。
 だから、寝る前に電話の線を抜いておいた。明日は御剣の隙をみて携帯の電源も切ってしまおう。
 本っ当に急な用だったら、イトノコさん辺りがここまで走って来るだろうから多分大丈夫!
 普段なら絶対に御剣の仕事に口は出さない。でもさ、明日くらい良いだろ、クリスマスなんだから。ずっと楽しみにしてたんだから。

 ねえ御剣、今年くらい君と2人きりでクリスマスを過ごそう。

 

>> HOME > 逆転裁判