そのうち絶対君と来ようって決めてたんだ。今夜は今年一番の寒さだってニュースで言ってたし、そんな日に君の家に泊まるんだから、これはもう神様が今日にしろって言ってるも同然だろ?
「成歩堂、私には君の言葉が理解しかねるのだが」
眉間に深いヒビを刻んだ御剣が苦虫を噛み潰した声で言った。
寒さが一番厳しい時期に日も昇らないうちから連れ出され、息も凍える中を歩かされた末に小さな空き地を目的地だと言われたにしては十分すぎるくらい細やかな反応だ。
こいつも随分穏やかになったなぁと、引っ張ってきた張本人はのん気に思った。
「つまり、目的は、これ」
ザクッ
空き地に1歩踏み出すと、靴の下から固い音が響いた。
しっかりした踏み応えに満足しながら振り向くと、御剣も納得した様に頷く。
「霜柱、か」
「そうそう。最近はアスファルトやコンクリートばっかりで土なんか見かけないだろ? ここもこの間、家が取り壊されて出来たんだよ」
「そうか」
近所なのに全く気が付いていなかったらしい。いつも車で通る道からも外れているから、知らなくても当然だろう。
「最近天気が悪かったから大丈夫だとは思ってたけど、ちゃんと出来てて良かったよ」
話しながらザクザクとした感触を楽しむ。
空き地を一回りしてきた成歩堂を、道路に立ったままの御剣は微笑ましげ見つめた。
「どうした。もう満足したのか?」
ドッグ・ランで遊んできた愛犬にでもかける様な言葉に、成歩堂はがっくりと肩を落とした。
「いやいや、まだだけどさ」
この程度で怒っていては御剣とは付き合えない。それでも、取り敢えず不満だと示す為に目の前の端正な顔を睨み付けた。
「なんで君は来ないんだよ」
「私は良い。君は存分に楽しみたまえ」
なんだか妙に聞き覚えのある答えに、成歩堂は口を尖らせる。何故か条件反射で口が動いた。
「御剣が一緒じゃないとつまらないだろ」
拗ねた子供の様な物言いに御剣は軽く目を見開き、それから少し困ったように笑った。
「君が、そう言うのなら」
あっさりと前言を撤回して、御剣は足を踏み出す。1歩1歩確かめる様に歩きながら目を細めた。
「−−懐かしいな」
「えっ!? 御剣、霜柱で遊んだことあるの!?」
子供の頃の思い出が極端に少ない御剣だから、きっと初体験だと思ったのに。
ふて腐れた様に霜柱を蹴散らしている幼馴染みに、御剣は呆れてため息を吐いた。
「過去の自分に妬いてどうする」
「って、誘ったの、ぼく?」
「なんだ、本当に覚えてないのか? 始業の1時間も前に矢張と一緒に迎えに来たではないか」
「−−ああっ!」
そこまで言われて漸く思い出した。
学級裁判をきっかけに仲良くなった3人だったが、それまで1人の友達もいなかった御剣の付き合いの悪さは半端ではなかった。
まともに一緒に居られたのは登校時くらい。休み時間に遊びに誘っても、下校途中で寄り道する時も、いつでもきっぱりと断られた。
『僕はいい。君達は存分に楽しみたまえ』
嫌になるくらい大人びた言葉に、何も言えなくてとても悔しかったのを覚えている。
それが、いつの頃からか。
成歩堂が誘う事ならなんでも付き合う様になった。
断られなくなったのではない。1度断った後、折れる様になったのだ。
『君が、そう言うのなら』
御剣と一緒に遊ぶのは楽しかったし、折れる時のちょっと困った笑顔が大好きだった。
だから、矢張と図ってありとあらゆる事に御剣を誘い出した。
霜柱を踏む様な小さな遊びから、深夜の校舎に忍び込む様な大それたことまで。
「は、はは。思い出しちゃった」
あの頃、この生真面目な親友を動かせた唯1つの魔法の言葉を。そして、それは今も有効だと証明までしてしまった。
これはもう、活用するしかないだろう。
「成歩堂、どうした?」
思い出に浸っていた成歩堂に、御剣が声をかけた。
「いや、別に…」
「フン、満足したのなら帰るぞ」
言うなり踵を返した御剣の腕をはっしと掴む。
「ま、まだ! もうちょっと!」
「君の言う『もうちょっと』とは具体的にどのくらいだ」
「えーと、4時45分まで」
「なんだと?」
思っていた以上に具体的な数字に、御剣は腕の時計を確認した。横から成歩堂も覗き込む。
「後10分だね」
咄嗟の思い付きの割には順調だと、成歩堂は満足そうに笑った。
「大通り沿いの24時間営業のレストラン、5時から朝食メニューなんだよ。ぼく、まだ新メニュー食べてなくてさ」
うきうきと言い募る成歩堂を御剣は冷たく見遣った。
「しかも、切り替え時間ギリギリに行けば、深夜メニューと両方頼めるし」
「すまんが、興味ない」
今度こそ帰ろうとする腕にしがみつく。
「え〜っ。良いだろ、何か食べて暖まってから帰ろう」
「暖まりたいのならば帰ってシャワーの方が効率が良い。止めはしないから行ってきたまえ」
件の店は場所柄、始発待ちのサラリーマンや学生が多い。騒がしい店は好きではない御剣だから、つれない返事も予想通りだ。
だから成歩堂は、思い出したばかりの『魔法』を口にした。
「1人でだったらいつでも行けるだろ。御剣が一緒じゃないとつまらないよ」
御剣が苦々しい表情で振り返る。わくわくと返事を待つ成歩堂を見て、大きな溜め息を吐いた。
「君が、そう言うなら」
仕方ないなと苦笑いされて、成歩堂は小さくガッツポーズを決める。
「安心して、他の誰にも言わないから」
フォローする様に言う成歩堂に、御剣は浮かんできた笑みを押し殺した。
この言葉を口にすれば、誰でも御剣に言うことをきかせられると成歩堂は思っているらしい。普通に考えれば、そんな都合の良いことが有り得る筈がない。
今も昔もこれが使えるのは成歩堂龍一ただ1人だけなのに、本人だけがそれに気が付いていなかった。
この『魔法』があれば、成歩堂は少しだけ我が侭になる。
普段はあまり自分の我を通さない成歩堂が、時折り口にする我が侭を叶えてやるのが好きだ。そういう意味では、御剣にとってもこれは『魔法の言葉』だった。
「御剣ー、すごいよ! この霜柱、ぼくが乗っても潰れないよ!」
空き地で遊んでいた成歩堂が手招く。
ここで行かなかったらまたあの言葉を使わないだろうかとも思ったが、あまり使わせすぎてカラクリに気が付かれてもつまらない。
「石に霜がおりているだけなのではないか?」
呼ばれるままに、御剣は愛しい魔法使いへと歩み寄った。