「なー、御剣ー。今度の土曜日、ヒマ?」
「忙しい」
聞かれたから答えたのだが、成歩堂は不貞腐れたようにソファに沈み込んだ。
「お前、いつも忙しいな」
「おかげさまで、暑いときは空調を点けられるくらいには稼がせてもらっている」
「うるさいよ」
経費削減で事務所は冷房を入れられないから、と客商売とは思えない台詞で執務室に居座っているのだから、このくらいの反撃は許されるだろう。
「この日さ、真宵ちゃんたちと花火見に行く約束してるんだよ」
「暑い中ご苦労だな。頑張りたまえ」
「ちぇ〜」
おおかた、私の財布をあてにしていたのだろう。恨めしそうに見られても、忙しいものは忙しい。
この国の犯罪発生件数は一向に少なくならないし、この時期は長期休暇を取る者が多い。暑さで体調を崩す者も居るから、残った者の負担はいつもの比ではない。
「お前、夏、嫌い?」
唐突な問いに、思わずキーボードを打つ手が止まった。
「なんだ、いきなり」
「ん? いや、なんとなく」
ソファにだらしなく寝ころんだままの成歩堂に他意はなさそうだ。
夏が嫌いか? それとも好きかというと−−。
「分からない」
「なんだよ、それ」
唇を尖らせた成歩堂は、私を見るなりソファから立ち上がった。真顔で執務机まで歩いてくる。
しまったな。そんなに情けない顔をしていたか。
「つまり、好き嫌いを判断できるほど思い入れがない」
「思い入れ?」
「ム。思い出、というべきだろうか?」
私はあの事件以前のことはあまり覚えていない。長年忘れようとした結果、本当に思い出せなくなってしまった。数少ない例外は成歩堂や矢張と遊んだことだけだ。
検事になり、弁護士となった成歩堂と法廷で対峙するまでも特筆することは何もない。成歩堂との最初の裁判が9月、検事としての意義を見失い姿を消したのは3月になる前だった。検事に復職したのは1年後だが、すぐに海外研修に発った。時折帰国しても、今日のように仕事に追われて共に食事が出来れば良い方だ。
だから、夏だけは思い出と呼べるものは何もない。
なんとかそう説明すると、成歩堂は俯いて手を握り締めた。
あまりに女々しい理由で呆れてしまっただろうか?
「なるほど……っ!」
呼びかけた途端、成歩堂は私に抱きついた。首に腕を回し、肩に顔を埋めるようにしがみつく。
咄嗟にノート・パソコンを閉じることも出来なかった。ぎしりと椅子が軋む。
「みつるぎ…」
引き剥がさなかったのは、成歩堂の声が微かに震えている気がしたからだ。2人分の重さでも椅子が壊れる気配はないので、ゆっくりと背を撫でさする。
「御剣、今日は帰りに花火買って帰ろう」
言いながら成歩堂は顔を上げた。
「構わないが、もう店は閉まっているのではないか?」
「大きいのじゃなくて良いから、コンビニで売ってるよ。それで、どこかの公園にでも寄って、花火しよう」
これで、夏の思い出が1つできるだろ?
そう言って笑う目は少し赤かった。
「ああ、楽しみだな」
「海水浴とか潮干狩りとか、盆踊りも行ったことないだろ?」
「ああ」
「もっとすずしくなったら縁日もあるし。冬はカマクラで鍋かな。春になったらお花見にイチゴ狩り!」
「食べることばかりだな」
揶揄しても、成歩堂は笑みを崩さなかった。どこか泣きそうに、とても奇麗に笑っている。
「ぼくはずっと暇だと思うから、時間ができたらいつでも声かけてよ」
「ああ、そうさせて頂こう」
優しい言葉にしっかりと頷いて、私は成歩堂の目に唇を落とした。
君が傍に居てくれるなら、じきにどの季節も好きになるだろう。